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まどか幼稚園では始業式も入園式も終り、いよいよ新しい子どもたちがたくさん幼稚園にやってきました。3歳の子どもたちのほとんどはいままでずっとお家にいたわけで、いうなれば生まれて初めて社会にでたわけです。
まだ幼稚園になれなくて、毎日泣いていたり、友達と喧嘩をしたり、園庭をふらふらしてる子どもがいたり、本当にこの時期に園庭の様子をみていると、ほんとうにいろんな子どもがいるなぁと感心します。一言で言ってしまえば個性というものなんでしょうが、まだ生まれて3年しか生きてきていない子どもたちなのにこんなにもたくさんの個性があるものかと驚かされます。
一日中砂場で遊んでいる子、絵本が大好きな子、植物が好きな子、虫が好きな子、運動が好きな子、泣き虫な子、すぐに怒る子、すぐにいじける子、何もしない子、給食を食べない子。
こんなにたくさんの個性、言い換えればこんなにたくさんの違う子どもたちが、1つの園庭でみんなで遊んでいるわけです。
そんな光景をみていて感じたのは、本当にみんなそれぞれの価値観をもっていて、その価値観のどれにも優劣も正しいも間違ってるもないはずで、それはそれであるがまま素晴らしいことなのに、つい大人になると自分と価値観のあわない人を批判してしまったり、あの人はちょっと変わってるよねなどと、とさも自分の価値観だけが正しいかのように、ふるまってしまい、それを押し付けようとしてしまうことすらあるということです。
また現代では情報が氾濫していて、勝ち組負け組なんて言葉が生まれたりしていますが、気づかないうちにたくさんの価値観や優劣を刷り込まれがちです。
しかしみんなそれぞれが個性をもって生きているということをしっかりと自覚して、それぞれみんなが自分というその個性を大切に、ひいては自分自身を大切に生きていくということは大切なことだと思います。バラバラで一緒というキャッチコピーが京都の本願寺の壁に貼ってありましたが、バラバラで一緒。違いを認める心というのはとても簡単なようで難しいつい忘れがちな心だと思います。
それぞれがそれぞれみんな尊く、それぞれの命がみんなそれだけで尊い。天上天下唯我独尊というと自分が世界で一番偉いという解釈をされてしまうことがありますが、言い換えればまさに、バラバラで一緒、この世のすべての生きとし生けるものすべてにやどっている生命1つ1つがそれだけでそのまんまで尊い。言い換えればたくさんの理屈や価値観に振り回されるて人を判断したり優劣をつけたりするのではなく、この命、この身体はそれぞれがみんな自分と同じように尊い存在だということに気づくということが大切だということなのではないかと感じます。
まず自分の尊さに深く気づき、命のありがたさに気づかされるということが、同時に他人の命の尊さにつながるということは、本当に現代に起きる様々な問題解決の第一歩のような気がします。
遠藤 正樹
4月11日掲載拝見させて頂きました。
子供の相手を信じきったストレートな眼差しに一瞬たじろぎます。人生のどこかで煤け、汚れてしまった気後れがそうさせるのかもしれません。子供がいつまでも目をキラキラ輝かせていられる社会であればいいなと思わずにはいられません。
遠藤 拝
副住職
そうですね。本当に子どもから改めて気付かされることは多いです。さも大人の方が何でも知っていると思いがちですが、よほど子どものほうが物事を正しく見られているということもあるなぁと常々感じます。なんとなくそれを知恵ではなく智慧というのかなぁと思ったりします。