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「失う」と書きますととてもマイナスなことのように感じます。
先日ある方が、人間は失わないと気づけない生き物だからね。というのをふと口にしました。だれも耳にしたことのあるようなお決まりのセリフですが、たまたまその話をしていたのが他のお寺の本堂だったのですが、ふと見上がるとそこに観音様がいました。
なんとなくその言葉を聞いたときに観音様を見上げていたら感じたことがありました。
この「失って気がつく」という言葉をよくよく考えてみますと、
「失って初めて気付かせていただいた」
「失って初めて知らせていただいた」
ととることができるように思います。
この「いただいた」という気持ちは真宗ではとても大切なことのように感じます。
それを思ったときに「失う」ということはマイナスかプラスか。
その質問に答えはないのかもしれないとなんとなく感じました。
たわいもない会話の中でしたがなんとなく「いただく」ということはそういうことなのかもしれないなぁと感じたと同時に、真宗の種みたいなものは本当にいろんなところに落ちてるものだなぁとつくづく感じました。
遠藤 正樹
『いただく』拝読させていただきました。合点のいくお話だと思います。
昔北京の紫禁城を散策していた際、ある皇帝が世をはかなんで首をつったと言う木がありました。外見には最高の栄華に到達したと見える人でさえ、この始末ですから、得ることでは幸福にはなれないのかと神妙に、かつほっと安堵した記憶がよみがえります。遠藤 拝
副住職
得ることでは幸せになれないと気づいたときに、ではどうしたら幸せになれるのかというほうに目が向けば皇帝もなにかかわったのかもしれないですね。仏陀がお城をでて出家したのもそこに疑問をもったからなのかもしれないですね。