寂円寺徒然日記
学ぶ

 

最後に皆さんに聞いていただきたいことがあります。それは学校がなくなっても、皆さんには学び続けてほしいということです。勉強は続けていただきたい。学ぶ情熱があるかぎり。

平賀キートンという人の言葉です。

人間は知りたいという心がある限り、どんなところでも学ぶことができる。

この言葉にすごく背中を押されることがあります。

いうなれば、学ぶということの原点は、どこまでも知りたいと思うものと出会うというところにあるんだろうと思います。

喉の渇いてない馬を水飲み場に連れて行っても水はなまないというけど、じゃあ馬に水を飲ませるためにしなきゃいけないのは、喉を乾かせることであり、枯渇させることであわけで。

なにかを育んでいくということは、なにかを与えることでもあると同時に枯渇させることでもあるのかもしれないなと思うことがあります。

また自分自身でも、自分が枯渇できる場所を選んで足をだす場所を選んでいくことも大切なのかもしれないと思いました。

副住職

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