寂円寺徒然日記
感性の大切さ。

最近テレビやニュースをみていて、あまりにも想像力の欠如したような事件が多くて悲しくなります。

いじめの問題然り、自殺の問題然り、虐待の問題然り、簡単に子どもをさらうような事件然り。幼児教育に関わっていて最近思うのは、想像力というものは、感性が生み出すものだということだということです。

例えば、一輪の花を見て、その花がなんていう種類で、いつに咲く花で、なんて名前なのか、それが先にでてくるよりも、きれいだな、儚いな、けなげだな、そういう感情的な部分をまず大切にしなければならないような気がします。

自分が幼児教育に関わる中で、そこを一番大切にしたいと思っています。

花だけではなくて、風鈴の音をきいて心地いいとか、風を感じて気持ちがいいとか、汗をかいて遊ぶことで満たされることとか、土にふれてあたたかいとか、知識や情報だけでなく、理屈ではなく素直にわいてくる感情を大切にしてほしいし、そういう感情がわいてくるような経験をいかにたくさんさせてあげられるかということが、親であり、教育に関わる上で大切なことなのかもしれません。

そしてその感情、感性が、好奇心を生み、想像力を育てる。

幼児期にそういう経験を通して、育まれた感性というものがこれから生きていく上での心の根っこになるのではないかと思います。

根っこの弱い木は大きくは育たない。

感性が好奇心を生み、想像力をそだてる、想像力の中で人は思いやりを育んでいく。

人間が壁にぶつかってどうしょうもなくなっうたときに、肩の力を抜いて、背中を押してくれるのは、ふと吹いた風であったり、道に咲いている花であったり、時に知らない人と交わす些細な挨拶であったり、そんな些細なことであり、そしてそうやって救われる度に1人で生きているのではないという実感をもつことができるのではないかと思います。

その実感こそが、人が生きる上で一番大切なことなのではないかと思います。

そういう感性がしなやかで、しっかりとした心をつくる、その上にしか知識も経験ものっていかないのだと思います。心がおいついていないのに、そこになにかをのせようと思うから、なにかどこかで折れてしまうのかもしれません。

最近のニュースをみていて、自分のしている仕事や関わっていることの責任や、やるべき事への意欲が改めて強くなったように感じます。

副住職

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