寂円寺徒然日記
新学期。

4月に新学期がはじまり阿鼻叫喚だった園内もだいぶ落ち着いてきました。

お母さんがみえなくなったとたんに腹をくくったかのようにスイッチのはいる子、先生が大嫌いだといい続ける子、頑なに着替えない子もひたすら泣き続ける子、一言もしゃべらないけどしっかりとやることをこなす子、あんな子やこんな子、いいだしたらきりはないけれど、本当にいろんな子がいます。

そんな子どもたちにとって1日はやく幼稚園が安心していられる居場所になれるように職員一同がんばるわけです。

小さな子どもというのは、言葉とか約束とか理路整然とした理屈だけでは安心した顔をしてくれません、そこををつかわないで子どもたちが安心した顔ができるようになるためには、どこをつかわなければいけないのかということをよく考えます。

そして、そこでつかわなければいけないところというのは、大人と子どもだけでなく、人と人が信頼関係を築くために大切な事の本当に根幹みたいなものだなと感じます。大人になるとどうしても安心を得るために理路整然とした理屈をほしがってしまいますが、本来安心とか信頼っていうのはそういうものだけで成り立っているのではないのだと気づかされるわけです。

この先になにがあるのか、予定調和の約束が欲しいのではなくて、この瞬間、この相手、この場所に、身を委ねられるかどうか、それは大人と子どもの視点の問題であるのかもしれないけど、その視点の違いにはとても大事な事が込められているように思います。

そんなことを、涙とかよだれにまみれながら感じます。

そんな日々です。

副住職
コメント