寂円寺徒然日記
インフルエンザ。

先日の新年会もたくさんの方にお参りいただきありがとうございました。
遅くなってしまいましたが今年もよろしくお願いいたします。

さて、テレビのニュースでインフルエンザの流行が報道されていましたが、私も流行にのってしまい先日インフルエンザにかかってしまいました。急な高熱で数日寝込んでしまいました。

健康なときにはついつい忘れてしまうのですが、病気で布団に寝付いているとなにはともあれ健康が第一であるということを痛感します。藁にもすがるような気持ちという言葉がありますが、高熱が続きますと、まさにその心境この熱がさがり、一日もはやく健康になるならどんな薬でも飲もうという気になります。

親鸞聖人の奥様であられた恵信尼様が、末の娘の覚信尼様に宛てられた手紙の中に、親鸞聖人が熱で苦しんでおられた時の様子を綴ったものがあります。

その文章を意訳しますと、

親鸞聖人が体調を崩されて夕方から寝込んでいた事がありました、次第に症状が重くなってきたようでした。身体に触れると火のように熱く、頭痛も激しくただ事ではない様子でした。

病気になられて4日ほどたった時に、なにかうわごとを言っているようでしたので、どうしましたか?と聞いてみたところ、

聖人は、病気になって2日目から大無量寿経を休むことなく読んでいたのです、すると目を閉じてもお経の文字が1文字残らずはっきりと見えて、これはどうしたことか、不思議なことだと思っていました。

お念仏をよろこぶ心のほかに、なにかまだ心にひっかかることでもあるのだろうかと思いよくよく自分自身のことを思い返してみるに、

17、8年前に民衆を救おうという想いで浄土三部経を1000回、読みはじめたことがあった、しかしその時に、それは大きな間違いだと気づき、名号を称え、お念仏の信心を喜ぶほかに、なにが不足で、お経を読まなければならないと考えたのだろうかと反省して、読経を中止したことを思い出したのです。

その時に反省したはずなのに、今、病気になり、またその時の気持ちがむくむくと湧いてきたのだろうか、お経の功徳にすがろうとする気持ちが自分の中に残っていたのであろう。

自力への思いは、たやすく捨てきれないもので、よくよく注意しなければならないと改めて反省し、

「そうだった、そうであった」とつぶやいていたのだよ。

そしたら、目の前のお経の文字がふっと消えたのだ。

そうおっしゃられた。

そしてまもなく、ひどく汗をおかきになつて、病気は快復されたのでした。

親鸞聖人はこのとき御年60歳前後だったといわれていますが、その年になってなお、自身の自力への執着を隠すことなく反省し、しっかりと我が事として受け止めている姿に心打たれるエピソードです。

この出来事をふと思い出しました、同じような状況の中、恥ずかしながら私の目の前には大経の経典の文字は浮かんでくることはなく、ずっと「とんぷく」という文字が浮かんでいました。

皆様もインフルエンザにはお気をつけください。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

副住職




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