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年末に「ホスピスで話をするなら、君はなにを話す?」と問われました。
それが年を明けてからもずっと自分の中にこびりついていて、死に際して自分が一僧侶としてできることとはなんなんだろうと改めて考えました、また「おまえになにができる?」とまっすぐに突きつけられた気がしていていました。
正直いうとはじめに「ホスピスでの法話」という話をもらったときに、自分は阿弥陀経の話でもしようと思っていました。極楽の様子を話したり、最後には倶会一処のあたりに落ちをつければいいんじゃないかくらいに考えてのです。
そして年が明けてから、ホスピス関係の本を読み、終末医療の本を読み、実際に病院で緩和医療に携わる人にも話を聞かせてもらい、いかに自分が大きな勘違いしていたのだと思い知らされました。
自分はホスピスというとことを、最後に人が死を待つ場所、もう病気の治ることのない人たちの行く場所だと思っていました。でもそこに関わる人たちの話を聞くうちに、ホスピスは、決して人間の「死に場所」ではなく、最後まで人間らしく「生き抜く場所」なんだと思うようになったのです。
終末医療という事にも、自分はいままでなにも知らなかったけど、例えば、余命の数ヶ月の肺がんの患者が、肺炎をおこしたとする、普通医療というのは、悪いところを治すのが目的だから、肺炎を治すために、抗生物質を投与するのが普通だけど、肺炎は抗生物質によってのみ治るのではなく、病気というのはなんでもそうですが、自己治癒力が正常に機能しているものを薬によってサポートするというのが正しい認識だそうです、しかし余命幾ばくの末期の患者さんにはその自己治癒能力が失われている場合が多くその多くは空振りに終わることも多いといいます。
であるならば、病気の根治を目指すのではなく、呼吸がしやすいように、気道を広げる薬や、痛みを和らげる方法に切り替えた方が、患者にとっての身体の負担、そしてなによりも身体の負担は心の負担を重くするので、そこをいかに少なくし、健やかな心を保ち、いかに自然体でいさせてあげられるかという考え方にシフトするというのが終末医療、緩和医療の考え方だそうです。
専門的な話は長くなるので、興味のある人は参考資料をどうぞ。
「死ぬときに後悔しない医療」 大津秀一
そして終末医療に関わる先生の言葉の中に、目の前の患者さんの苦痛を取り除くには、もちろん物理的な部分もそうだけど、本当に大きいのは精神的な部分をフォローできなければいけない、つまりは「病気を診るのではなく病人を診る」ことができなければいけないという言葉がありました。
その医師は、勤務医として大きな病院にいるときには、患者さんのカルテとデータを元に、患者さんをベットの上から見下ろして、病気とその症状にばかり目を向けて、その人がどんな人であるのか、どんな顔をしていて、どんな人生を歩んできたのか、そんなことはどうでもよかった。命の終わりを後ろにずらすことだけが医者の使命だと思い、それを疑っていなかったそうです。
しかし余命幾ばくもない人が、癌との合併症をおこし糖尿になったときに、血糖をコントロールして毎日身体に針を刺す必要があるのかどうか、最後に息をとった時に、心臓マッサージをされて、強心剤をうたれ心臓をうごかされ、人工呼吸器で生かされることに意味があるのかどうか、余命が数ヶ月延びると言うことは、末期の苦しみにあと数ヶ月耐えなければならないということになるわけで、その間で葛藤をしたといいます。
そこで行き着いたのが終末医療、緩和医療というものだったそうです。そこでは、患者さんの目線になって、いうなれば、目の前の患者さんの状態や気持ちをくみ取って、信頼関係の上で、オーダーメイドの治療を行っていくようなものだそうです。
目の前の患者さんが、いかに「人間らしく」生き抜いて、そして死んでいくのかを考え抜いて、行き着いたのは、人間と向き合って、そこにある命そのものに寄り添うということだったのだと思います。
こちらの一方的なモノを押しつけるのではなく、生きることにそっと手を添えるような感覚なんだろうと思います。そこには、甲斐甲斐しい世話や、一方的な押しつけではなく、それぞれしっかりと自分に向き合う時間をつくってあげること、そしてその時間の中で、それぞれがしっかりと自分に目を向け、自分自身の死を受け入れていくことができるようにすることだということなのだと思いました。
その医師の姿勢みていて、それはまさに待機説法に通じるところがあると思いました、相手の目線にたち、感情をしっかりとくみ取った上で、その人にあった方法を選択するということはまさに仏教の根本姿勢ではないかと感じました。
そう思った時に、自分自身がはじめに「ホスピスでの法話」という話をもらったときの気持ちを思いだして、自分の勘違いに気づかされました。
自分は、死に行く人たちに、その苦しみを少しでも楽にしてあげよう、自分の話でなんとか死の恐怖を和らげることができるのではないか、そんな法話をしようと感じていたのですが、それじゃまさに大学病院の医療と同じじゃないかと。相手もみないで、通り一辺倒になにを話したところで、それは違うのだと感じたのです。
今回、終末医療に携わる人たち、そしてホスピスにいる人たちの話を聞く中で、彼らからなにか真宗の中で生きる上で、また仏教を扱う上で、大切なことを教えていただいたような気がしました。
そして、その目の前の人や事実と真摯に向き合う姿勢こそ、まさに聞法なのだと思い知らされた気がしたのです。
そしてそこの医師も、そこにいる患者も、自分なんか足下にも及ばないくらいに、後生の一大事としっかりむきあって、生死の問題に向き合っていると思い恥ずかしくなりました。
そんなことを考えているときに、ある詩に出会いました。真宗のお寺に生まれた方が、余命を宣告された中での言葉です。
説法はお寺でお坊さまから聞くものと思っていましたのに、肺癌になってみたらあそこ ここと如来さまのご説法が自然に聞こえてまいります。このベッドの上が法座の一等席のようです。「今現在説法」肺がんになってここあそこから如来様の説法が少しづつきこえてきます「今現在説法」真只中でございます。
この姿勢、生き方こそがもう法話であり、自信教人信であるんだと思いました。
そして、山谷にあるきぼうのいえというホスピスがあります、そこの院長先生がこう言っていました。
この病院では、まだ誰も死にたくないといって死んでいった人はいない。
このホスピスでは、とことん目の前の人に向き合い、できる限り本人の想いを尊重するそうです。
部屋のシーツにたばこの焦げ後がたくさんあるのだけど、その数がホスピスの居心地の良さだという話もあるそうですが、その人の生き方や、性格を十分に理解して、まるごと受け入れた上で、そこにただ寄り添う。自分から距離を詰めるわけでもなく、距離を離すわけでもなく、ただそっと横に寄り添う。これがホスピスで一番大事なこと。これにいきつくまでに長い時間がかかったなといいました。
それはいうなれば、死に際した人の、心と体の苦痛をケアすることで、しっかりとその人が、自分自身に矢印を向けられるような時間をつくり、生死の問題に真っ向に向き合える環境を整えると言うことなのかもしれないと思います。
はじめに自分は「ホスピスでの法話」と聞いたときに、難易度高いなぁと感じました。でもそれがそもそも
の間違いで、生死の問題はホスピスであろうと、そうでなかろうと同じなんだと気づかされました、人生は余命80年そこいらのホスピスにいるようなものだと思えば同じなのかもしれません。そしてよほど今ホスピスにいる人たちのほうが後生の一大事を我が事として受け入れている。それなのに、自分がなにかそこで説いてやろうだなんて、はじめに「ホスピスでの法話をするなら」というとの問いに疑問をもたないということが、なによりも自分が凡夫である証拠のかもしれないとすら思いました。
ホスピスであろうと、どこであろうと、法話には違いはないということ、そこに違いを見いだしていたのは自分の至らなさであったこと、そして、法話とはやはりつまりは聞法であるのだということを実感しました。いい法話作りをするのではなく、目の前の人と向き合う姿勢そのものが法話になるような僧侶になりたいし、その姿勢でなにかを伝えられるようになりたいと思いました。
そしてなによりも、法話なんていうのは、難しく考えずに、目の前の人間と腰を落として同じ目線でまっすぐに世間話ができれば、それでいいのかもしれないと思いました。
今回はこのようなご縁をいただき自分の立ち位置を改めて顧みることができました。ありがとうございます。
副住職
遠藤 正樹
副住職
ホスピスでの法話拝読させて頂きました。
思考プロセスが良く分かりました。結論には全く同感です。医学に携わるより多くの人がターミナルケア、人間の内面に目を向けて頂くようになればいいなと思います。人間こればかりは順番ですから、その様な場があると知っていればとても楽な気持ちで今を楽しむことに専念できそうです。とてもヘビーな課題に真正面から取り組まれる姿勢に敬意を覚えます。頑張ってください。
遠藤
副住職
日本の医療制度上どうしてもみんながみんなこのように一人一人に向き合うというのは難しいのかもしれないと思います。これもそのようなまた一つの流れの中に反比例して生まれてきたものなのかもしれないですね。