震災から1年がたちました。いまだ被災地では多くの人が大変な苦労をされています、一日もはやい復興を心から願います。震災からのこの1年を振り返り、私の中で大きく変わったことは、この「今」この瞬間の重みということに尽きると思います。
今日も法事をしていて感じたのですが、命日に親族一同、多くの人が集まり法要をするわけですが、その法要において大事な事は、本堂にいるすべての人が、亡き方と同じように、必ず命日という日を残して死んでいきます、それがいつくるのかということはだれにもわからないということを、改めてしっかりと気づかせて頂くことなのかもしれません。
亡き方を機縁に仏法に触れ、仏法という鏡で我が身を省みるわけです。
私自身、今回の震災を通して、この1年で、そのことを改めて深く感じさせられた気がします。
人間はいつも昨日までのことでくよくよして、まだ来ていない明日からのことに頭を悩ませています、しかしそういう時には大抵「今」が置き去りにされてしまっているような気がします。
こういうときだからこそ、後生の一大事を心に決めて「今」をしっかりと味わい生きていく、そこで初めてお念仏が口をついてでるのかもしれません。
被災地ではまだまだこれから多くの支援が必要になってくると思います。一人一人が自分にできることを考え行動し、そしてこの機縁を無駄にしないようにしっかりと今を生きていくことが何よりも大切なのではないかと思います。
副住職
遠藤 正樹
副住職さま
震災から1年拝読させて頂きました。そして昨日のご講話ありがとうございました。
吉岡家ご家族の皆さま始め寂円寺の皆さま、そして門徒の皆さまと時間を共有できる機縁がとてもありがたく感じられる今日この頃です。自分の人生と死を特別なものと思ってしまうと際限が無くなり苦しむと思います。誰しも普通に生まれ普通に死んでいく。人さまであっても然りではないかと。目の前のビールと湯豆腐をただ楽しめばいいと思います。昨日のご講話を拝聴させて頂き、それが間違いでは無いと感じた次第です。ありがとうございました。
遠藤 正樹