寂円寺徒然日記
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一夜賢者の偈


気づけば桜も見頃を過ぎて、
満開に気づけないくらいに
あっというまにこの1ヶ月を駆け抜けてきたように思います。

3月にはいりコロナウイルスが世界中で猛威を振るい、
あたりまえの日常が一変してしまいました。

日々多くの情報や、様々な人たちの想いがあちこちで交錯して、
そのひとつひとつに、脊髄反射で心揺さぶられ、
気づくと心も身体も疲弊してきているように思います。

そんな時に、先日幼稚園の園庭の手入れをしました。
新学期に向け、草取りをして、植物を植栽したり、
ひたすらに1日土いじりをしていました。
すると不思議と心が落ち着くような気がしました。

目に見えぬ不安や、
日々変化する情報や
様々人たちの思惑や
反射的にわいてくる感情、

そんな形のないもの日々さらされ、
なにか心が疲弊している時には、
感触とか、体感とか、感覚とか、
五感を伴って、今自分の中に感じることのできる、
確かなものをしっかりと味わうことで、
心が少し落ち着いてくるような気がします。

以前終息も見えず、不安な日々が続いていますが、
今できることは、この目の前の1日をいかに実感をもって生きるかということなのかもしれません。

皮肉にも今回のこのコロナウイルスの一件で、
日常がいかに砂上の楼閣、
些細なことで簡単に音を立てて崩れてしまうのかということを痛感したような気がします。
だからこそ、あたりまえは、かけがえがないのだということに気づかされます。
中部経典の中に、一夜賢者の偈というお釈迦様の言葉が残されています。
その言葉を紹介したいと思います。

過ぎ去れることを追うことなかれ。
いまだ来たらざることを念(おも)うことなかれ。

過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。

されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。

揺らぐことなく、動ずることなく、
見きわめ、ただ実践すべし。

ただ今日まさにすべきことを熱心になせ。
たれか明日死のあることを知らんや。

まことに、かの死の大軍と、
遭わずというは、あることなし。

よくかくのごとく見きわめたるものは、
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せよ。

かくのごときを、一夜賢者といい、
また、心しずまれる者とはいうなり

いつだって確かなことは、「今ここ」にしかないのかもしれません。
その「今ここ」をしっかりと丁寧に過ごすことが
心の安心にもつながってくるのかもしれません。

まずは自分自身が感染しないよう、
そして感染を広げないように努めたいと思います。
そして1日もはやい終息を願いたいと思います。
 
副住職



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