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「よいお年を!」笑顔でそんな挨拶を交わしながら、
今年を振り返り、来年に思いを馳せる、
そんな光景の中で、いつものように1年の幕を閉じていくはずだったのですが、
こんなにも「いつものような」毎日を過ごせなかった年はないかもしれません。
今年は寂円寺でも、感染予防、拡大防止のために密を避け、人があつまる行事の縮小、中止を余儀なくされました。
そんな1年を過ごして、行事の時にお参りの方々と何気なくするお話やお顔を拝見できること、そういうあたりまえの光景がいかに大切であったかということを痛感しています。
特に、浄土真宗では「講」というものを大切にしてきました。
報恩講の講です。お講とも呼ばれています。
講というのは、蓮如上人の時代に盛んになった、浄土真宗の教えを聴聞し、門徒同士が語り合う集まりです。
講は門徒同士だけでなく、地域や社会の人々を結びつける大事な役割を果たしてきました。
人と人との結びつきというものは、信仰を支えるうえでも、人が生きる上でとても大きな基盤になり、土台になるものではないかと思います。そんな長い年月の中で大切に守られてきたものも、突然「あたりまえ」でなってしまったことに寂しい思いがします。
しかし、今はまずは自分自身が罹患しないように予防をし、人に感染をさせないようにできる限りのことを努め、なんとかこの状況を乗り越えなければなりません。
その中で、いつかこの想いを糧にできるように今の気持ちを忘れないようにしたいと思います。ふと「人はパンのみにて生くるものに非ず」という言葉が浮かんできました。これはキリスト教の言葉ですが、その言葉に深く頷ける自分がいます。
どんなに環境や状況が変わろうと、人はパンによってのみ生きるわけではなく、
様々な縁の中で関わり合い、支え合う中でしか生きていくことができないのかもしれません。
コロナ禍において、失ったものもとても大きく、
人と人の結びつきが薄れ、先行きの見えない不安の中にあっても
変わらずにそこにある様々なご縁に、小さなあたりまえの光景に感謝し、
自分自身のできる範囲での結びつきを大切にしていきたいものです。
1日も早く、マスクを外して、あたりまえのように世間話ができる世界が戻ってきますように。
そして来年は良い年になりますように。
皆様、どうかお元気でよいお年をお過ごしください。
副住職
遠藤 正樹
副住職さま、
明けましておめでとうございます。「コロナ禍の年の瀬に」拝読させていただきありがとうございました。
開発と称し大自然に無闇に分け入った人類が自然からしっぺ返しを受けているように感じます。疫病にしろ戦争にしろ、人類の無分別が歴史をくり返させているように思います。今度こそ後世に残せるような教訓を得ることができるのかどうか我々皆に問われているような気がします。個人的には歳を重ねるにしたがい行動半径も小さくなりチマチマとした空間でも何とか按配できてしまいますが、副住職はじめこれからの世代はそうはいかないはずです。これからもずっと続いていく世代に本当に大切なもの、ことを残すことができたのは宗教だけかも知れません。
遠藤 正樹
副住職
あけましておめでとうございます。
本当にまさに末法の世の中ですね・・・ここで私たちがなにを感じ、なにを反省し、どう改善していくのかそれがこれからの未来にとってなによりも大切なことですね。
いまはまずは身体をしっかりと守り、この想いを大切につなげていきたいと思います。
またお話しできるのを楽しみにしています。