まだきてない先のこととか、過ぎ去ったことにくよくよして、気持ちがどうにも所在なげになっているときには、園庭にでて、子どもたちの遊びの中にどっぷりつかってみると、すっと地に足がつくような感じがして、そうおもえば、大人になるということは「今ここ」以外のことにいかに時間と労力をさかねばならないかということなのかもしれないなんてことを、いい大人になってもいまだなお思うわけです。
この時期の園庭には、卵からかえったオタマジャクシが池に泳ぎ、草木が芽吹き、たんぽぽが咲き、桜の木は小さな木の実をたくさん落としてくれる。
4月に入園してきた子どもたちも自分たちの居場所が少しづつ確立されてきて、その春の訪れ満載の園庭でどんどんと遊びは広がる。
自分だけ発見した秘密の場所で、木の実をひろい、つぶし、様々なものとかけ合わせて、想像とイメージを膨らませて、他人と共有していく。
動きの想像できないオタマジャクシを相手に、ああでもないこうでもないとシャベルで救いあげようとする子、昨日までは生えていなかった足の生えたオタマジャクシを見つけて歓喜して園内に自分の発見を報告して歩く子。
その学びや、気づき、そして遊びを通じてつながりあうことの心地よさの一つ一つが心の根っこを太くしていくのだと思いながら、大人にとってもこの今ここにある感動や発見や、小さな変化に心をとどむる余裕みたいなものはわすれてはいけないのだなと。
毎年毎年年度末から新学期の忙しさに加えてコロナでバタつく自分の心を、池のほとりに座って顧みる今日この頃です。
副住職
遠藤 正樹
副住職さま、
「園庭の池のほとりで」拝読させていただきありがとうございました。歳を重ねると童心に戻ると言われています。私の場合も馴染みの鶯が餌を食べにきてくれると本当にうれしいのです。今を盛りに咲き乱れる枝垂れ桜にも感動します。晩年にそれを楽しめる贅沢をありがたく感じます。現役まっただなかの副ご住職におかれては社会的責務も背負われておられるはずです。しばし池のほとりで童心にもどられたく。
遠藤 正樹