先日、幼稚園の中のインターネットが一斉に不通になるということがありました。
はじめは機械の電源ををつけたり消したり、再起動したり、いろいろなことを試して復旧を試みましたが、ネットがつながることはなく、サポートセンターに電話をして、言われるがままに対応を試みても、インターネットが復旧することはありませんでした。
ここ数年IT化を推奨するということで、幼稚園の業務も、ありとあらゆるところでネット回線を使っています。
職員の出退勤の管理、子どもたちの出欠席から、連絡事項、印刷機から手紙を印刷するだけでもネット回線を使います。最近では個人面談もオンライン、つまりネット回線がなくなってしまうと多くの業務が一気に滞ってしまうのです。
便利になるために進めてきたIT化もこうなると、どうにもなりません。目に見えないものが相手ですので、原因をさぐるにも限界があります。
最終的にはNTTの方が来てくれて、線をもとからたどり調べてくださった結果、原因が判明したのですが、
なんと原因は蟻でした。
幼稚園近くの近くの樹木が生い茂り、電柱にかかってしまっているところから、ネットの回線が来ているボックスの中に蟻が入り込みケーブルをかみちぎってしまったそうです。蟻を払って、ケーブルをつなぎなおしていただいたらネットはすぐに復旧しました。
そんな出来事の中で、いかに人間の作り上げた便利さの脆いことか、あたりまえの日常は些細な要因で一変してしまうのだということ、そしてなによりも、便利があたりまえになってしまっている私たちは、一度便利を手にすると、それがなくなってしまうことに大きなストレスを感じるのだということを痛感しました。いままでそれがない時には、ないなりに成り立ってきたこと、不都合なく回っていたことも、一度便利を知ってしまうと、それは不便な時間に変わってしまうわけです。
人間は進化することをやめられないといいます、世の中はどんどん便利であること、合理的であること、そして肉体的な消耗を伴わない生活が当たり前になってきています。
その便利を得ることは、同時に失う不便さを手にするという事、そしてそれは、ストレスでなかったものをストレスにかえてしまう力があることを頭の片隅に忘れないようにしなければいけないのかもしれません。
「小欲知足」という言葉があります。
今回、蟻が噛み千切ったインターネットのケーブルは、計らずも、便利は必ずしも必要なことなのか、そして今以上の便利が本当に必要なのか、時に立ち止まって考えるいい機会になったように思います。
暑い日が続きますが皆様どうぞご自愛ください。
またお盆のお参りにお会いできるのを楽しみにしています。
副住職