寂円寺徒然日記
新学期

幼稚園では新学期が始まり、園庭にはたくさんの子どもたちの声が響いています。

ぶつぶつ文句を言いながら来る子。バスにのるときから号泣してる子。縦横無尽に走り回る子。無言で仏頂面をする子。

それぞれがそれぞれに想いを抱えながら、生まれて初めて社会にでてくるこの4月、着替えを済ませて、靴を履いた子どもの背中をおしてヨーイドンと声をかけると、みんな一目散に園庭へ駆けていきます。

走り出したその小さな背中を見ながら、これから人生の荒波にもまれていくその第一歩がここなのだなとしみじみと考えさせられます。その背中を見送ることができる環境というのはありがたいことであり、とても責任のあることだなと気持ちの引き締まる思いがします。

春休みに子どものいなかった幼稚園はどうにも活気がなくて、建物までも肩を落としているように見えるのですが、子どもがあふれた幼稚園には活気が満ちあふれているように感じます。

あるべきものがあるべきところにあるということは、当たり前のようでとても大切な事だと思います。やはりなにかおかしいときは、そんな当たり前のことを忘れているときなのかもしれないと思いました。

先日園庭で、桜の花びらを集めて、ひたすら泥と混ぜて遊んでいる子どもがいて、隣に座って一緒に遊んでいる時に、ふとこの花びらを泥と混ぜるという行為は、きっと大人から見たら意味のない行為だと思います、そもそも本当にそこに意味なんてないわけですが。

しかしそこに意味があるとか意味がないとかそんなことにこだわって行動する自分が、ここにいる子どもたちよりいい顔のできている瞬間はどれだけあるというのだろうか。人生における意味なんてそんなもんなのかもしれないと考えさせられました。

さて今年はどんな1年になるのでしょうか。
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